コーチングが教えてくれる新しい自分との向き合い方

ライフコーチ蒼井櫻子さんのフォト04

岡–お辛い経験をされたんですね。だけどその後の心の葛藤を経て、起業という新たな道を切り開いた櫻子さんのご経験は、多くの女性に勇気を与えて、多くの方が背中を押されるでしょうね。ではコーチングって実際にどういった方が受けると良いんでしょうか?

起業家には完璧主義の自己犠牲さんが多い

例えば起業してる女性の方は多いですけど、人の目が気になって動き出せないとか、誰かによくできてると言われても自分が納得できてないとか。

そういう人たちのことを完璧主義の自己犠牲さんと私は呼んでいるんですけど。

逆に自分はまだできると思っててもなかなかうまくできてなくて、起こる出来事に対して自分はダメなんだって自己否定したり、人と比べることでしか自分を評価できなかったりする。

この人よりできてるかできてないか比べちゃうそれって実は先生だけの話じゃないだなって気づいたんですよね。

で、こういう悩みを持っている方って圧倒的に完璧主義の自己犠牲さんなんですよ。

完璧主義の自己犠牲さんってどういう人かというと、例えばやってもやってもまだやり足りない感覚があったり、自分が人と比べて落ち込んでしまったり、みんながいいよと評価してる中でも自分はまだダメだと思っていたり、自分の中ではやりきれてないと上を目指す人は多いけど、自分が完璧主義だと気付いてないんですね。

自己犠牲によって電池切れに陥る女性たち

自己犠牲さんによくあるのが予備電源。
自己犠牲さんってすぐに電池切れしちゃうんです。

週末寝て復活しましたってなっても月曜火曜で電池を全部使い切ってしまっていて、そこから予備電源に切り替わって、水曜木曜あたりにはそれさえ使い切って赤いランプがついてる。

もう頭はまともに動かないし身体もだるいし。
家事をする気力もない。

本当は家族と団欒したいのに喋るのすらしんどく感じてしまって、それすらできなくなってる。

で、そうなってる自分をまた責める。

こうなると罪悪感を感じてしまう人が多い。
精神的な自傷行為に走る感じ。

自分はなんてダメな人間なんだ。
母親として全然ダメだ…とか。

コーチングで自分を客観視する:完璧主義に気づくプロセス

セラピー寄りになるけど、なんでそういう処世術(自分を責めて生きる)を身につけてしまったのかというのを、コーチングの前半で未来を生きるために過去を整理することをしてますね。

自分にはそういうところがあるって1回受け入れちゃうんですよ。

そしたらそれが当たり前って思えるようになって、自分に対してだんだん客観的になっていくことができる。

あぁまたこのモードに入ってるなって自分で分かるようになるんですよね。

マウンティング女子の存在:自分の中の対立する感情と向き合う

自分のなかに、ニュートラルな自分とうじうじしている自分と、さらにマウンティング女子が2人いるんですよ(笑)

「わたしのほうができるし」っていうマウンティング女子と、それに対してそういうこと思うの良くないよっていう「わたしのほうが人としてできあがってる」っていう女子がいる(笑)

少なくとも自分の中に4人のわたしがいるんですけど、そのときにニュートラルな自分に主導権を握らせる。

誰しも心の中に相反する感情が2つの心が現れるときがあるんですね。

たとえばすごくワクワクしていて、良かったと思っている自分と、一方であれでよかったのかって思ったりする。

自分の心なのに、同時にいろんな考えを持っていることもある。

「いつものマウンティング女子が出てきてる」となったときに「本音はマウンティングしたくないんだよね」っていうことが分かって、自分の事を理解できるようになってくると「そう、そう、そうなんだ」って自分の色んな感情に共感することができるようになって。

それから次のステージにいくことができる。

そうするとマウンティング女子とさよならできる。

居なくはならないけれど、もうちょっと遠くなる。

そしたらもっと穏やかに生きられる。

同業の人の存在って脅威だから目障りと感じてしまうことがある。

その人にないものを見つけることで、「よし、自分は大丈夫」って思える材料になるんだったらマウンティング女子もいていいんじゃないかなって思う。

だけどどうしてみんなマウンティング女子が好きじゃないのかというと、多くの場合はネガティブな気持ちになるから。

本当にしょうもないところで。

例えばエレベーターから降りるときにがーっと入ってくる人がいたら
「いやいや、普通は降りる人優先じゃん」
って思うんだけど、その人のことを
「教育がなってない」
と思ってしまう。

だけどそうやって他人を見下してる自分が嫌だ、とも思っている。

もしかしたらその人の事情があるかもしれないし、本当はマナーはあるかもしれないけど、自分はそう思ってしまう人だとしたら、 それが見ず知らずの人を馬鹿にして
「自分はまともな自分な人間です」
と正当化してるのが、低レベルだな…って自分の中の誰かが感じたりするから、やっぱり同じ人格の中に二極化した同一人物が存在したりするんですね。

自分を受け入れるためのプロセスは自己との対話

ただそういうことがあっても、その事実をネガティブに捉えてなければいいんだと思っていて。

人を裁くジャッジメントってネガティブな気持ちになることが多かったり、それがちょっとした行動とか言葉の端々に出たりすると、自分の周りにいる人達って離れていったりするから。

できるだけジャッジメントは少なくしていくことが生きやすくなることに繋がる。

わたしはマウントは嫌だし辛いと感じる。

マウントとってる自分に対して「性格悪いなー」と思う第2のマウンティング女子がいる。

わたしの中で良い悪いのジャッジメントしてるのがマウンティング女子で
「育った環境が違う」
「持ってる価値観が違う」
って”ちがう”っていう表現ならいいけど

そこに比較が入って
「わたしはいい教育を受けた」
「この人は受けてない」というジャッジになると心持ちが違ってくる。

人によってマウンティング女子がネガティブ感情を生み出す原因になってるかもしれないし、別の人は人のことを喜ばせることができるできないでジャッジしてるかもしれない

でもそれがいきすぎたら結局自分の気力体力を削る。

ちょうどいいところだとお互いハッピーエンド。
いきすぎると自分が犠牲になってすり減らしたりする。

例えば合理的な話ができない人とは付き合いたくないとか、合理的に説明できないとやりたくないとか、みんな自分の中に特性があって、その特性と気持ちよく付き合っていくのも練習がいる。

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