教員としての価値観や指導方法に大きな影響を与えた”コーチング”
岡–そうだったんですね。
確かに毎日のように顔を合わせる中で自分の役割というものを考えさせざるを得なかったんですね。
そんな今の櫻子さんを作り出す転機ともなっているコーチングを身に着けようと思ったのはどうしてですか?
コーチングの導入動機
進路指導とか生徒指導とか、自分のクラス経営をもっとよりよくしたいと思っていて。
教員がこうしなさいっていうんじゃなくて「あなたはどう思うの?」っていうのを大切にしてあげないと、満足度の高い中学校高校の3年間6年間が難しいんじゃないかと思って、そこからコーチングを勉強した。
最初は本とかUdemyで勉強したけど、もっと勉強したいと思ってコーチングのスクールに入った。
コーチングを学び始めて感じた価値観の変化
全部自分の責任って思わなくていいんだって思うようになりました。
クラスを持ってたら、何が起ころうと全部担任の責任だって言われてたけど…
担任は司令塔というか、チームでいうとこの監督みたいなものだけど、選手はそれぞれバックボーンがあって、家庭環境があって、部活があって、友達関係があって…
何が起こっても担任が全部負わなきゃいけないというのは無理があると気づいた。
生徒指導が出たら全部自分の落ち度で。
これは防げなかった…思うことがあっても、ほかの先生達から見たら学級経営をしくじったというふうになるわけで。
まぁそう評価する人もいるし、一方であれはしょうがないって言ってくれる人もいる。
ただわたし自身がクラスで起こったことは全部担任の責任という価値観を選択してた。
自分にプレッシャーをかけて、ここで起こったことは自分の責任だって思ってた。
教員としての責任感の所在について
コーチングを学んだあとはたとえば生徒の一人が行きたい大学にチャレンジして受かりませんでしたってなって、落ちたのは担任の責任ってなったとしても、そうとは言い切れないと思うんですよね。
それは担任の責任ではないし、その子にとっては実は第二志望の大学のほうが合ってたかもしれない。
いろんな理由があって起こってるんだってことが自分の中で腑に落ちたところがありました。
コーチングを始めてから起こった指導方法の変化
「これしなさい」「あれしなさい」っていう頻度が減った。
生徒だけじゃなくて、保護者の方にもコーチングが必要な場合もあったりするのが分かるようになって。
コーチングを学び始めて全部が全部が思うようにうまくいったわけでなくて、もちろん失敗したこともあったんだけど、「これはわたしのせいだけで起きてる問題じゃないぞ」というのもニュートラルに捉えられるようになって心が軽くなりました。
生徒本人が後から
「先生が言うからここ受験したんじゃん」とか「先生の言うとおりにしたじゃん」 って言うのはお互いによくないと思うから、そこに至るまでに
「どうしてそうなるの?」とか
「何をやりたいの?」
という気持ちを聞くようにしたくて、面談を重視するようになった。
そしたら卒業するときにお手紙をもらったりするんですけど、面談が良かったといってもらえた。
先生としての立場から見てコーチング的する前と後の生徒の変化
面談を重視するようになって、生徒たちが自分で動くようになった。
自分で考えて、その自分が考えてることをわたしと議論するようになってすごくおもしろかったです。
「先生のここ間違ってるよ」
って言いに来て、
「なんでそう思うの?」
「どういうこと?」って生徒の頭の中を深くまで引き出したかった。
「どうして私がこう言ってるかというと、こんな理由なんだけどどうかな」って言うと「ちょっと考えます」って言う。
そのあとで「ちょっと言い過ぎました」とか「先生の思ってることがわかってよかった」とか言ってもらえて。
それって話し合わないとわからないことだった。
最終的には同志になったかもしれない。
みんながそうなれるわけではないけどクラスの動き方が変わったのは感じた。