もともと学校の先生として働かれていた蒼井櫻子さん。
現在はライフコーチという全く別のジャンルのお仕事をされている。
ここにくるまでに鬱による休職や流産など壮絶な苦難を乗り越えてきた櫻子さんが、ここまで自分の人生を強く生きられるようになったのはどうしてなのか。
自分が望む道へ突き進むこの原動力はいったいどこから生まれてくるのか。
今回のインタビューは、現在教員としてお仕事されている方はもちろん、「自分なんてまだまだだ…」と自信を持てずに居る完璧主義さんにも見て欲しい。
教員時代に感じていた職場における性別役割に関する課題、女性教員特有の責務やプレッシャー、そして家庭との両立の難しさ
岡–インタビュアーの岡部です。
本日はどうぞよろしくお願いいたします。
元々は先生だった櫻子さんですが、今のライフコーチングというお仕事にたどり着いたきっかけからお聞きしてもよろしいですか?
そうですね。いろいろな理由が重なりあってこうなったという認識があるんですが。
少数派としての女性教員と性別に基づく役割の偏り
もともと就職した学校が女性が1割だったんですけど、その中で女性教員としての自分を意識せざるをえない状況だったんですね。
例えば無意識の中で「ここは女性らしさを活かしてもらいましょう」とか、女の子の指導は女性の先生がするとか。
だけど実際はそれに加えて男子の指導もしなければならないというのが現実で。
男性の先生は「女の子の指導は何かあったらいけないから怖くてできない」という事実があったんですね。
女性教員同士の関係性
女性陣も少ないからこそ、派閥ができていって…
男性陣に距離をつめることで、
「自分たちの立場を安定しておきたい」
「もっと意見がいえるようになりたい」
という先生たちと
「女性らしさを活かして」という先生たちもいたんですね。
人数が少ない分、それぞれの色が濃くなる。
同期は11人いたけれど女性は私1人だけだったんですね。
希望してた学校に所属だったけど予想と違ったぁーと思って。
全国的には高校の女性の先生は全国的に3割と言われていて。
私が働いていたのは中学と高校がくっついているところだったけど、女性教員が1割になった時期だったのもあって、女性の先生に対する負担がおのずと大きくなっていきましたね。
クラス数も多いから修学旅行の引率も何回かに分かれていくけど、女性の教員は1人だから女の子の部屋を全部管理しなければいけないとか、1泊の宿泊学習では女の子を大部屋で寝かせて自分も一緒に寝ないといけなかったり。
男性の先生は何人かいるから誰かが交代で担当できるけど、自分には休める瞬間が一切なかった。
システム上しょうがないんだけど、自分が女なんだと強く自覚させられたんですね。
その時期から女でも強くやっていけるぞというのを見せていかなければいけないという意識が生まれ始めたんですね。
結婚や子供に関する社会的圧力・仕事と家庭のバランス
ほかにも女性って年齢を重ねていくと結婚するかしないかとか、子供を産むか産まないかとか選択しないといけないことが出てくる。
そうすると「あの人は何歳なのに独身だ」とか「性格おかしいんじゃないか」とか言われる。
↑これは男女問わずあったけど、それっておかしいと思った。
男性の先生がお子様の行事で休もうとすると「奥さんにいかせればいいじゃんね」と言うけれどこれは男性の先生、女性の先生どちらでも言う人がいた。
どちらかというと女性の先生が多かったかもしれない。
なんかそういう小さい「ん?」と思うことが溜まっていって、そんな中で女性教員の窮屈さみたいなのをずっと感じてたかな。
やりたい仕事は思うようにできない。
家のこともやりたいけど仕事もこともがんばりたい。
そのバランスをとるのが難しい。
職員室は濃厚な人間関係があるから、その中でちょうどいい距離感でやっていくのも難しい。
そこで”女性教員”という枠が自分の中にできていましたね。